大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和50年(オ)847号 判決

上告人

菅沼樫材株式会社

右代表者

菅沼茂

右訴訟代理人

小倉一之

外一名

被上告人

株式会社さくら資金

右代表者

成松長一

右訴訟代理人支配人

成松渉

主文

原判決中被上告人勝訴部分を破棄し、本件を福岡高等裁判所宮崎支部に差し戻す。

理由

上告代理人小倉一之の上告理由について

一原判決の認定判断の要旨は、

上告人は訴外市川広吉に対し第一各手形(原判決添付第一手形目録記載の各手形)を振り出し、市川は上告人に対し第二各手形(原判決添付第二手形目録記載の各手形)を振り出した。第一各手形は、昭和四五年二月から三月までの間に市川から西日本相互銀行に裏書譲渡され、昭和四八年六月五日同銀行から市川に再び裏書譲渡された。市川が第一各手形を再取得した右日時より以前である昭和四八年五月二八日上告人の市川に対する第二各手形債権は時効消滅していたから、第二各手形債権が時効消滅前に第一各手形債権と相殺適状にあつたとはいえず、上告人はその後民法五〇八条により第二各手形債権をもつて第一各手形債権と相殺することはできない、というにある。

二一般に、手形の裏書譲渡により手形債権者となつた者は、右譲渡を受けた時に手形債権を取得し、それ以前に手形債権を取得するものではないから、右手形債権と右手形債権者に対する反対債権とが手形の裏書譲渡の時より以前に相殺適状となることはなく、したがって反対債権が右裏譲渡の時すでに時効消滅している場合には、その後、民法五〇八条により反対債権をもつて手形債権と相殺することができないことは、いうまでもない。

しかしながら、手形の所有者が債権担保のため手形を銀行に裏書譲渡したのち被担保債権が消滅した等の事由により実質的に手形上の権利が旧所有者に復帰したが、ただ旧所有者の所在不明のため銀行において手形を所持していたところ、その後旧所有者の債権者が旧所有者に代位して銀行から旧所有者宛にその手形を裏書譲渡させたような場合旧所有者が右のように銀行から裏書譲渡を受けるより以前すでに実質的に手形債権を取得しているときは、右手形債権者に対し反対債権を有する者は、手形債権者が実質的に手形債権を取得した時以後反対債権をもつて右手形債権と相殺することが許されるのであり、したがってその時よりのちに反対債権が時効消滅しても民法五〇八条により反対債権をもつて手形債権と相殺することができると解すべきである。けだし、右のような実質的な手形債権者は、手形を所持していないので、みずから相殺することはできないが、反対債権を有する者が手形の受戻しを受ける利益を放棄して反対債権をもつて右手形債権と相殺することは許されると解されるのであり、対立債権について実質的な公平を図る民法五〇八条を類推適用して、反対債権による相殺が右のように許されるときその後右債権が時効消滅してもその相殺ができると解するのが相当であるからである。

三ところで、原判決及び記録によると、第一各手形がいずれも満期前に市川から西日本相互銀行に裏書譲渡されたのち、昭和四五年四月二一日ころ市川は倒産し所在不明となり、右各手形は右銀行においてこれを所持していたが、昭和四八年六月五日になつて被上告人が市川に対する債権に基づき市川に代位して右各手形の第二裏書欄に昭和四八年六月五日付で市川宛の裏書を記載させ右各手形を被上告人に交付させたものであり、右裏書欄には右日付のほか「昭和四五年五月六日買戻し」の記載があるのであつて、これらの事実によると、市川が実質的にはすでに右昭和四五年五月六日に右手形債権を取得していた疑いがあり、もし市川が実質的に昭和四五年五月六日に手形債権を取得したとすると、前述したところにより、上告人の第二各手形債権がその後時効消滅しても右債権による第一各手形債権との相殺は許されることになるのである。そして、上告人は原審において第二各手形債権は時効消滅前に第一各手形債権と相殺適状にあつたからその時効消滅後も相殺が許されると主張しているのであり、前記のような疑いのあることが明らかである以上、原審は釈明権を行使して相殺適状の時すなわち市川が第一各手形債権を実質的に取得した時等について主張、立証を尽くさせ十分な審理をしたうえ上告人の右主張について適切な判断をすべきであつたところ、原審はこれをすることなく上告人の右主張を斥けたものであり、原判決には釈明権不行使、審理不尽の違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。右のとおりであるから、原判決は破棄を免れず、更に前述の点につき審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すのを相当とする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官藤林益三の反対意見、裁判官岸上康夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官藤林益三の反対意見は、次のとおりである。

私は、本件上告を棄却して原判決を維持すべきものと思う。その理由は次ぎのとおりである。

一  上告人は、上告理由書第一の一、(二)、(三)及び第二に記載しているような主張とそれに沿う証拠説明とを、原審においてしたことが認められない。おそらく、第一審判決で勝訴したことに安心して、原審での訴訟活動が十分でなかつたことによるものかとも推察されるが、上告理由書記載の右のような主張は、原審において十分できたはずである。けだし、第一審以来、被上告人は第二各手形債権がいずれも時効消滅以前において第一各手形債権と相殺適状にあつたことを争い、民法五〇八条は適用されないと繰り返し主張していたからである。

多数意見は、上告人の右の上告理由にかんがみ、原審での釈明義務の履行が不十分であり、ひいて審理不尽の違法を招いたものとし、これを理由に原判決を破棄して原審に差し戻すとの結論に至つたものと思われる。しかし、第一審以来上告人は、同一訴訟代理人によつて訴訟行為を遂行しているのであるから、原審において全く主張していない前記理由を取り上げてまで、当審は、原審の審理に立ち入る必要はないものと思われる。

私は、三ケ月教授とともに、「釈明権は裁判所の不可欠の後見的機能であることを如何に強調しても、それは遂に後見的機能に止まつて事案解明の責任を裁判所が背負いこむことを意味するものではないのであるから、当事者が裁判所に依存しながらそのことを棚に上げて釈明権(釈明義務)不行使の違法を主張すれば、常に上告理由となるというのは不当である。釈明義務不履行として上告審が破棄しうる限度は、具体的事案に照して不行使のまま裁判することが公平を欠き、訴訟制度の理念に反すると認められる場合に限らるべきは当然である。」(法律学全集民事訴訟法一六四頁)と考えるものである。もとより、いわゆる古典的弁論主義への反省はされなければならないが、本件事案の如きにおいては、弁論主義本来の意味において、訴訟代理人の努力にまつべきものがあつたのであるから、私は、裁判所がそこまで介入する義務を負担すべきものとは思わないのである。訴訟代理人は、裁判所によりかかるべきものではない。けだし、訴訟代理人の受任事件に対する熱意と研究努力とが裁判の結果に現われてこそ、在野法曹の訴訟活動の進歩に伴う裁判本来の姿の出現が期待できるからである。

二  次に、多数意見と直接関係はないかもしれないが、前項釈明義務に関連することがらであるから、一言述べておきたい。

上告人は、上告理由書第一の一、(一)において、第一各手形、第二各手形が融通手形であつたことを理由に、両各手形について相殺が認められなければならないというような主張をしているが、融通手形であつた事実は原審の認定していないところである。しかし、仮にそうであるとしても、融通手形なるものは、真実の商業手形であるかのように作為され、その振出人は、それが金融機関又は金融業者において割引かれることを前提として振出すものである。また、融通手形を交換する場合にあつては、双方が別々に割引を受け又は一方だけが割引を受ける違いはあつても、一旦振出した融通手形が、双方の手中に存することは殆どありえないことがらである。したがつて、一旦その一方が経済的に破綻した場合には、経済的にいくらかでもまさつている片方が迷惑することは当初から予想されるところであつて、何の不思議もない。これに同情すべき点はいささかもないと、私は思うのである。

たまたま本件事案においては、訴外市川の割引先である西日本相互銀行に、同訴外人の預金が第一各手形金に見合う程度の金額において残存したため、銀行による差引計算の結果、同銀行の手中にあつた第一各手形が浮かびあがり、被上告人の代位による入手という事態に至つたのであるが、これは全く偶然の事実によるものである。すなわち、訴外人の預金がなければ、上告人は当然、銀行から第一各手形金の支払を請求された筋合である。

また、上告人は第一各手形が融通手形であつたと主張している以上、訴外市川の右手形の割引先が西日本相互銀行であることを知つていたのであるから、訴外人が所在不明になつたという危険な状態が発生したからには、同銀行について調査をしさえすれば、訴外人の預金と第一各手形金との差額一三万七八四九円の支払をすませて、銀行から第一各手形を受け戻すか、または被上告人のしたように、第二各手形の債権者として、被上告人に先んじて代位により第一各手形を受け取ることができたのではないかと思われる。また、その際既に当該手形が被上告人の入手するところとなつたことが判明した場合には、上告人において第二各手形金請求の訴を提起しておきさえすれば、第二各手形債権の消滅期間の経過を待つて被上告人が提起したであろうと窺える本訴の係属後に、あわてて公示の方法による相殺の意思表示をするというような、訴提起に伴う公示送達とその手数において殆ど異ならない方法をとるまでもなく(しかもそれは時機おくれであつた)、上告人は本件訴訟において成功したと思われるのである。

三  以上諸種の事情を考慮すると、心情的には上告人に同情すべきものがあるとしても、上告人の自ら振出した第一各手形の運命に関する無関心、第二各手形金の保全管理についての不注意、及び訴訟手続上の失態を、裁判所の責任においてカバーすべきものであるとは、私には、とうてい考えられない。よつて、本件は上告棄却をもつて処理して差支えない事案であると思料する次第である。

裁判官岸上康夫の補足意見は、次のとおりである。

わたくしは、本判決の結論及び理由に賛成するものであるが、藤林裁判官の反対意見があるのでそれに関連して若干補足意見を申し述べたい。

弁論主義を基調とする現在の民事訴訟制度の下において釈明権は裁判所の後見的機能に過ぎないものであり、当事者が裁判所に依存しながらそのことを棚に上げて釈明権(釈明義務)不行使の違法を主張すれば、常に上告理由となるというのは不当である、釈明義務不履行として上告審が原判決を破棄しうる限度は、具体的事案に照らして不行使のまま裁判することが公平を欠き、訴訟制度の理念に反すると認められる場合に限られるべきである、とされる同裁判官の一般的見解にはわたくしも異論を唱えるものではない。しかしながら、本件事案について原審に釈明義務不履行の違法はなく原判決はこれを維持すべきであるとの同裁判官の意見には、わたくしは左袒することができない。すなわち、本判決理由中に説示されているとおり、上告人は、原審において、被上告人の請求原因に対する抗弁として、上告人は訴外市川が上告人宛に振り出した第二各手形債権を自働債権とし、上告人が市川宛に振り出した第一各手形債権を受働債権として両者を相殺する旨の意思表示をしたこと、右相殺の意思表示をした当時自働債権が既に時効により消滅していたとしても、その消滅以前において右両債権は相殺適状にあつたから、民法五〇八条により相殺は有効である旨を各主張し、これに関し原審は、第一各手形がいずれもその満期前に受取人市川から株式会社西日本相互銀行に裏書譲渡されたのち、市川は昭和四五年四月中に倒産して所在不明となつたこと、同銀行はその後第一各手形を所持していたが、市川の債権者である被上告人の要求に基づき同手形の第二裏書欄にそれぞれ昭和四八年六月五日付で市川宛の裏書をしたうえ、これを被上告人に交付したこと、を各認定しているのであり、また、被上告人が原審に提出した甲第五号証の一ないし七(その成立について争いのないことは記録上明らかである)によれば、右第一各手形の第二裏書欄には右日付のほか「昭和四五年五月六日買戻し」との記載のあることが看取できるのであつて、これらの事実関係からすると、市川は実質的には既に右昭和四五年五月六日に第一各手形債権を取得していたことを疑うべき相当の理由があるのであり、もし市川の右手形債権の取得が認められるとすれば民法五〇八条による上告人主張の相殺の抗弁は理由があることとなる筋合であるから、このような本件訴訟の経過に照らすときは、原審としてはすべからく釈明権を行使し、上告人をして右市川の第一各手形債権取得の時期等に関する主張、立証を尽くさせたうえ十分な審理をすることこそ本件争訟を事案に即し公平に解決するために必要かつ適切な措置であつたというべきである。藤林裁判官の指摘されるように、上告人側に、訴訟活動上不十分な点があつたり、また、上告人の自ら振り出した第一各手形の運命に関する無関心や上告人自身の所持する第二各手形債権の保全管理についての不注意があつたとしても、そのことのために原審裁判所の前記釈明義務を否定することは相当でないとわたくしは思うのである。かくして、わたくしは、原判決には釈明権不行使、審理不尽の違法があるからこれを破棄すべきであるとする多数意見に同調するものである。

(藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫 団藤重光)

上告代理人小倉一之の上告理由

第一、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある(民事訴訟第三九四条)。

一、相殺適状に関して原判決の理由とするところは次のとおりである。控訴人(被上告人)が有している被控訴人(上告人)振出の手形額面合計金二六一万円は受取人市川から西日本相互銀行に渡り、それは昭和四八年六月五日に再び同銀行から市川にいずれも裏書譲渡されたものであるから、市川が被控訴人(上告人)に対して受働債権である右各手形債権を行使しうるに至つた時期は右各手形債権の譲渡を受けた昭和四八年六月五日であつたといわなければならない。これに対し自働債権である被控訴人(上告人)の市川に対する額面合計三六六万五、〇〇〇円の約束手形(振出人市川、支払期日の最終のものは昭和四五年五月二七日)はいずれも右昭和四八年六月五日には三年の消滅時効にかかつているので相殺出来ないというにある。

(一) しかし、相殺の立法趣旨は、両当事者の期待権を保譲するために自働債権と受働債権を対等額にて消滅させるというにあり、従つて両債権の相殺適状は各債権の弁済期を基準とすべきであることは明白である。

本件においては控訴人(被上告人)の代位する市川の受働債権である金二六一万円の各約束手形債権の弁済期が最後のが昭和四五年七月二三日であるから、その時点において相殺適状があると解すべきである。被控訴人(上告人)と市川の各振出の約束手形は、被控訴人(上告人)主張のように、真実は融通手形であるが、その立証が不可能なため第一、二審においてそれが認められていない。しかし、右両者の各手形は、相互に相手方に対する信頼関係に基づいて振出されたものであるから、市川が被控訴人(上告人)振出の手形を株式会社西日本相互銀行に譲渡していたとしても、それは右市川の融資の為の預け入れ(担保)であり、それ以外のものではありえない。そうであるから、右市川は、自己の右銀行に対する借入れを直ちに返済し、被控訴人(上告人)振出の本件手形を取戻すことができるものであるから、仮りに融通手形の抗弁が採用されないとしても、本件の相殺適状の起算日は、右各手形支払期日を基準にすべきものと解すべきである。

(二) 仮りに原判決の理由を採用するとしても、それは「市川が被控訴人(上告人)に対して受働債権を行使しうる時」に相殺適状があるとするその「時」は、市川が西日本相互銀行から受働債権である手形債権を取得し得る時期を意味するものである。しかして右各手形は西日本相互銀行に譲渡していたが市川が倒産して逃走した後の昭和四五年五月六日右銀行は市川に対して有していた金六八一万円の債権を自働債権とし、市川が右銀行に預けた金六六七万二、一五一円の預金債権と対等額で相殺し、右各手形は同日市川に返還されるべきであつたので、「市川が右各手形債権を行使しうる時は昭和四五年五月六日もしくは各手形の履行期のいずれかおそい日である」と解すべきである。甲第五号証の一ないし七の約束手形の第二裏書人欄の株式会社西日本相互銀行の個所に「(昭和四五年五月六日買戻し)本件裏書による手形責任を負わない」との記載があるように、右各手形は市川の融資の担保として提出されていたものであり、昭和四五年五月六日には市川は返還を受けることが出来たことは明白な事実であるから、同日か又は各手形の支払期日まで相殺適状の起算日が遡及することは疑のないことであると信ずる。

(三) 以上に述べた様に本件のごとき事案において双方当事者がその相手方の振出した手形の手形債権で相殺を行う場合、相殺適状は各手形の支払期日まで遡及すると解すべきである。さもなければ、当事者双方の信頼関係が失われ、相殺の立法趣旨である期待権の保護が全くなされないこととなるからである。仮りに一歩譲るとしても、本件の被上告人の所持する手形の債権を市川が行使して請求することが出来るのは、株式会社西日本相互銀行が市川に対して有していた債権と市川が右銀行に対していた預金債権を対等額にて相殺し、本件手形を市川に返還した日(市川はこの時逃走したので、市川が返還を受けることができたと解してもよい)である昭和四五年五月六日もしくはその後に来る各手形の支払期日であることは明白である。しかるに原判決は被上告人(市川の代位権の行使として)が右銀行から手形を受取つた昭和四八年六月五日までしか相殺適状の日を遡及させなかつたのは正に法令の解釈の誤に当るものである。もし原判決のような理論構成を採用するならば、手形を第三者に預け、その受取日を操作することにより、相手方の相殺の権利を失わせることができ、手形の悪用も容易になることは疑の余地はない。

二、原判決は、公示の方法による相殺の意思表示につき、手形の呈示を要するとなす。確かに手形は呈示及び受戻証券であるが、公示の方法による相殺の意思表示の場合は、裁判所の手続を経て意思表示を到達させるものであり、準裁判手続に当るものであるから、右の場合には手形の呈示は必要でないものと解すべきである。しかるに、原判決に裁判上の請求でないので手形の呈示を要するとなしたのは、法令の解釈の誤である。

第二、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな採証法則違反がある。

原判決は市川が上告人に対して受働債権を「行使しうるに至つた時期」は、株式会社西日本相互銀行から期限後裏書により右各手形債権の譲渡を受けた昭和四八年六月五日であつた旨認定する。しかし市川が右手形を「取得しうるに至つた時期」は、甲第五号証の一ないし七の裏書中右銀行の欄の「昭和四五年五月六日」であり、これにより右各手形を取得して、支払期日の到来しているものは直ちに、そうでないものは支払期日以後、右手形の債権者として上告人に手形債権を「行使し得る」ことになるはずである。本件における受働債権たる右各手形の支払期日は、いずれも右昭和四五年五月六日以後になつている。従つて、本件では、市川が上告人に請求しうる時期はいずれも右手形の支払期日以後である。しかし、市川が右各手形を取戻し得たのは、右証拠に記載のように、昭和四五年五月六日であることには変りはない。右証拠の記載の「昭和四五年五月六日買戻し」とは、右銀行が市川に対する貸付債権と市川に対する預金債務等を相殺して、右各手形を市川に返還できる状態になつたのが昭和四五年五月六日であつたことを示すもので(この時は市川は逃走し行方不明であつたので市川自身は右各手形の取戻ができなかつた)、「本件裏書による手形責任を負わない」とは右銀行の無担保文言である。右証拠の裏書欄中「昭和四八年六月五日」の日付は、右銀行が市川の代位者たる被上告人に右手形を引渡した日付である。従つて、右各手形を市川の代位者である被上告人に単に「引渡した」日と、右各手形を市川が「取戻し得る」日を誤つた原判決は、正に採証の法則に違反したものと言わなければならない。

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